北海道出身の登山家・栗城史多さん(35)が、2018年5月21日にエベレスト下山中に死去した。
「生きて帰るために(登頂に)執着しない」
生前、彼は「生きて帰るために(登頂)に執着しない」と誓っていた。『執着しない=無理をしない、下山する』だが、今回のエベレスト挑戦では、登頂に執着してしまったのだろうか。5月21日にエベレスト登頂予定だったが、5月20日に「体調不良のため下山する」と連絡を受けて、翌日に7400m付近で遺体で見つかった。今回のエベレスト挑戦と彼の経歴について、簡単にまとめてみたいと思う。
エベレスト頂上までのルートは安全だったのか?
エベレストは、中国とネパールの間にある山脈のうちの高い山(8848m)である。ちなみに富士山は3776m。ルートはざっくり分けて、「北稜ルート(中国側のルート)」と「南東稜ルート(ネパール側のルート・ノーマルルートとも呼ばれる)」がある。今回、彼が挑戦していたルートは、「南東稜ルート(ネパール側)」方面。
今回、彼が登ったのはこの「南東稜ルート(ネパール側)」から、6000m以降で分岐する「南西壁ルート」。
「南東稜ルート」と「南西壁ルート」の違いは、6500m付近からのルートである。「南西壁ルート」は、エベレストの南西側を登る。これが、まぁ難関と言われており、とっても難しい。登山は、頂上に対してぐるっと周りこんで登る方が、傾斜が緩く楽だ(エベレストは別次元ですが・・・)。でもそれは、エベレストも同じ。距離でいえば、「南西壁ルート」の方が、「南東稜ルート」より短い。でも、頂上は同じ。ということは、傾斜は明らかに、「南西壁ルート」の方がきつく、登山自体大変である。もはや、名前の通り、『壁』である。
また、彼は無酸素で挑戦したが、ここは7000mを越えていく場所である。通常7000mを越えると、一歩足を踏み出すごとにハァハァと息が切れ、行動が困難になると言われている。そして、今までの挑戦で指も9本、凍傷で失っている。さらに・・・、この南西壁は、無酸素単独で登頂した人は今まで誰一人いない。
エベレストの中でも、今回彼が挑戦したルートは、難関であることがよくわかる。
※キャンプとは、食事をしたり眠ったりできるキャンプ場のこと。シェルパと呼ばれる高地に慣れた現地の人たちを雇うこともできる。
直前の栗城さんの体調は悪かった?
彼の日記には、彼が死去する2日前の5月19日に、「咳が出る」と綴っている。この咳は、5月3,4日に熱があった、ということで、ここから続いているようであった。この日から当日まで、咳が続いていたようである。体調は決して万全でなかった様子がうかがえる。彼は、この咳を、高度で乾燥しているため、と位置づけていましたが、本当は体調の悪さからもきていたのかもしれません。また、酸素を吸うと、体が楽になり体調も良くなるみたいですが、今回は「無酸素」ということで、体内の酸素も少ない状態でした。
まとめ
今回、栗城さんが挑戦した難関である『南西壁ルート』と、遠征前半の熱やその後の咳、無酸素という状態を考えると、登山の計画自体に無理があったのかもしれません。また、大勢の皆からの期待、莫大な資金提供をしてくれているスポンサー、その他スタッフ等、バックグラウンドを考えて、彼自身が無理をしてしまったのかもしれません。
彼の5月16日の日記には「登頂日は5月21日を予定しています」とはっきりと書かれていることから、21日に登頂するぞ、という意思がみてとれます。難易度の高いルート、体調の悪さ、それでも後にはひけなくなっていったのかもしれませんね。
(4)最後に
栗城史多さんは、1982年6月9日生まれの北海道瀬棚郡今金町(北海道の南側、函館に近い)出身である。彼がメディアに出始めた当時(2010年頃)、登山者の間から「彼は何者だ?」「登山するためのお金はどこから集めてるんだ?」「若くて怪しい」といった声をよく聞きました。それでも、彼は彼の信念のもと、登り続けて登山の様子を中継し続けました。彼が支持された理由は、今まで誰もやったことがない、「登山の中継」を行ったから、だと私は考えます。彼の登山の中継を見て、励まされた方は少なくないと思います(私もそのうちの一人です)。
今回の彼の挑戦に賛否両論があがっていますが、私は彼に「今までたくさんの人に勇気と希望を与えてくれてありがとう」そう言わずにはいられません。栗城史多さん、ご冥福をお祈りします。
コメント